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「それは結構優しい方の罰だ。《歌謳いの刑》って言う」 「《歌謳いの刑》?」 今にも取り壊されそうな……いや、自然消滅しそうな廃屋の聖堂の中心で、僕とエリス、それからヴェンデルは座っていた。 ここは、グリングリーンの外れにある小さな教会。 教会としてきちんと機能していたのは随分昔だろうが、とにかく、今は神父(出来損ない)がいて、細々と機能している。 神父兼《赦し屋》のヴェンデルは分厚い本を片手に、目の前の美しい少女に笑いかけている。 しかし、その微笑がどうしても下品なものにしか見えない。 僕の目が腐っているからだろうか……。 ヴェンデルは視線を本に移すと「温い罰で良かったね」と言った。 エリスが不信感と不愉快さを混ぜたような表情を見せるので、僕はとても居たたまれなかった。 彼が読んでいるのは《罪の経典》と呼ばれるものだ。 蝶が僕らに与える罪の全てを書き記した書物。 僕は中身を見た事がない。ヴェンデルが見せてはくれないのだ。 彼は懐からマッチを取り出すと、胡坐を掻いている足先――靴の先端部分でそれを擦る。 温かな光がマッチに灯り、僕らの顔をオレンジに染めた。 その光で煙草の先を焦がし、ふぅっと息を吐く。 白い煙がエリスの顔を包んだ。 ――頼むから禁煙してくれ。 「それって、どんな刑ですか?」エリスは不安そうな面持ちで、ヴェンデルに問いかけていた。 「大した事じゃない。そうだな……」 ヴェンデルは灯したばかりの煙草を、その場にポイっと捨てた。 頼むからポイ捨てもやめてくれ。 彼はそれを気にした様子もなく、悪びれた様子もなく言葉を継ぎ足した。 「吟遊詩人にとって一番辛い事は何だと思う? テッド、答えは?」 「え? えーと、歌えなくなる事……かな」 「単細胞」僕は切り捨てられた。 あまりにも僕が短絡思考だったからか、ヴェンデルは呆れたような表情を浮かべている。 その顔がとても嫌だったので、僕はしかめっ面で返した。 ヴェンデルはエリスの方を向いて「答えてごらん」と言った。 彼女はしばらく悩んでいた。結論が見えないのだろう。 明確な答えがある問いではない。 一プラス一イコール二。 そんな問いではなくて、もっと哲学的な、どこかの世界で言う禅問答のようなものだ。 エリスはしばらく悩んでいた。 同じような状況になったらどうするのか。 歌い続ける自分、舞台女優としての自分。 それを投影しながら、頭の中で思考を纏めているのだろう。 顎に手を当てて、苦悩しているポーズをとりながら、彼女は恐る恐る答えた。 「歌を……歌い続ける事…ですか?」 「そう。声が枯れても休む事を赦されない。永遠に歌い続ける。一見簡単そうだけどな、とてもじゃないが出来ない。吟遊詩人が綺麗な歌声で歌えるのは、休息があるからだ」 ヴェンデルの顔が、僕には真面目に見えた。 ひねくれていて、何を考えているのか判らなくて、不可解な男なのに。 この時ばかりは……神父なのだ。 懺悔を聞いてくれる、人々に指針になる男なのだ。 僕はヴェンデルを横目で見ながら、指先に絡む、巻き直した包帯を弄っていた。 歌い続けると言う苦痛。 歌い続けなければ壊れてしまうのに、苦痛を強いられる。 楽しかったはずのものが全て崩れ去っていく。 そんな恐怖を彼女は抱えているのだろうか。 それが、彼女に与えられた罰。 僕にはそれがとても巨大で残酷なものに思えた。 彼女の罰が《好きな事を奪い続ける苦痛》なら、僕の罰は何だったのだろう。 今となっては全然判らないのだ。 僕はどうして――苦しんでいたのだか。 僕を赦してくれたヴェンデルの顔……今の表情に似ている。 「おい、テッド……聞いてる?」 「え? あ、うん」 「嘘つけ。……とにかく、君が赦されるためには、罪を明確にしなきゃならない」 そしてまた、エリスは考え込み始めていた。 それもそのはずだ。罰を受けている人々は、なぜ自分が罪に問われているのかが判らないのだ。 正確には、判りたくないのだ。 あえて問うまでは、認めたくないのだ。 自分の罪が何であったのか、判りたくない。 「言ってごらん、エリス。君はどんな悪い事をしたんだ?」 「私は――必死だっただけで……」 「それは言い訳だ、エリス。蝶は言い訳なんて求めてない」 彼女は押し黙っていた。 流れている時間が止まってしまったかのような感覚。 沈黙と静寂が支配した廃屋の中には、仄かに苦い煙草の香りが流れていた。 時間ではなくて、流れるのは煙草の匂い。 僕は指先を気にする事をやめ、エリスを見ていた。 彼女の身体は、微かに震えていた。 何かを必死に堰き止めている、何かに耐えている。 それは罪の重さか、罰の重さか。 今にも崩れてしまいそうな彼女は――しばらくして涙を零し始めた。 熱く流れる涙が、光を纏う。 溢れる罪悪感と抱え切れないほどの苦痛が、涙になって吐露されてゆく。 エリスの口からは嗚咽が漏れていた。 必死に噛み締めるように、その苦痛、罰の大きさに耐えている。 自然と零れる声を抑えるために、彼女は白い、蝶の笑う手のひらで口を覆っていた。 彼女は苦しみながら、言葉を紡ぐ。 その凛とした旋律が声になって、僕らに届く。 「私は――弟を、犠牲にしました」 「そうかい」 自らが零した言葉に、彼女は傷付いていた。 きっと、彼女はひた隠しにしていたのだろう。 本心では気が付いていた、見て見ぬ振りをしていた。 だから、罪に問われた。 だから、彼女は苦しんでいた。 気が付いていたけど、認めたくなかったのだ。 誰だって同じだ。自らの過ちを人の目に晒したくない。 エリスは白い両手を唇から離し、耳を塞ぐようにしながら、目を瞑った。 小さな、苺のような唇が動く。 あの時と同じ様な動きをしていた。 あの時――劇場で頭を上げた時と同じ唇の歪み。 何かを話している、何かを言っている、何かを伝えようとしている――そんな様相を呈していた。 小さな言葉が、廃屋の中に溶け込んでゆく。 溢れ出した懺悔の言葉は、連なりながら広がる。 私は、間違ってしまった…… 私は、誤ってしまった…… 私は、間違ってしまった…… 私は、誤ったしまった…… その懺悔の言葉は、ヴェンデルが止めるまで半永久的に続いていった。 ……舞台の上で、彼女はそう歌い続けていたのだ。 あの時の唇の動きが、目の前で繰り返されている。 自らの罪を知っていたけれど、それが大きすぎて、抱えきれなくて。 それなのに蝶は急き立てて、重く圧し掛かって。 彼女に贖罪するように、嗤ったのだ。 耳を塞いだままの彼女は、堰を切ったかのように後悔の言葉を吐き出し続けた。 「私は、初舞台の日……弟が高熱で寝込んでいると知っていながら、行ってしまったんです」 「そうかい」ヴェンデルは優しく頷いた。 「まさか、それで……死んでしまうなんて、想像もしていなかったんです。私は自分の夢のために、弟を殺してしまったんです。私の所為なんです、私の所為なんです……私が自分勝手だったんです、私が……っ」 沢山のものを犠牲にしてしまった。 数え切れないものを犠牲にしてしまって、振り返った時には、遅すぎた。 命の灯火が消えて、気が付いた時には独りきりになっていた。 それでも、彼女は戻れなかったのだ。 弟を省みなかった。夢のために。舞台のために。 それを、蝶は赦してくれなかったのだ。 だから、彼女の手のひらに住み着いて、彼女を引き裂いた。 「私は……最初、弟のために歌っていたはずなんです。弟を犠牲にしたのだから、成功しなければならなかったんです。……その思いが重くて重くて、それが苦痛にしかならなくて……自分の首を絞めていたんです」 大好きなものを失い続けなければならないと言う苦痛。 大好きなものを嫌いになり続けると言う螺旋。 途切れる事のない負のルフラン。 苦しみが新しい苦しみを生み、それが連鎖して崩壊に導く。 止められない連なり、止められない交錯。 エリスを苦しめて、罪に気付かせるための蝶。 それは、まだ手のひらで笑っている。 僕はエリスの手を差し出した。 なぜだろうか。こうするべきだと直感的に思ったのだ。 エリスはそっと…光り輝く大粒の涙を零しながら、僕を見据えた。 この手を取って良いのか、いけないのか――審判の時を待つように。 「エリス、お墓参り行こうか」 エリスを縛っている鎖は、《歌》だ。 どんなに気丈に振舞っても、その鎖からは逃げられない。 足元に絡み付いて、彼女を転ばせる。 立つ事は容易ではない。 でも、後は立ち上がるだけなのだ。 ここまで来れば、もう彼女は大丈夫。 「君の罪は赦されるよ」 エリスは白い小さな手を、僕の手のひらに重ねた。 温かい、人間の体温。 生きている。だから、間違いを犯す。失敗を繰り返す。 蝶は、その漆黒の笑みを消し、優しく笑いかけた。 温もりが光となって、僕ら三人を取り巻いた。 * * * エリスの弟の名前はヒュウと言うのだと、墓石を見て判明した。 掃除などされていない、住居にしている教会(廃墟)と同レベルの墓地だった。 なぜかそこだけ枯葉が舞っていて、寂しさを窺わせている。 この場所だけが永遠に木枯らしの舞う、空虚な場所になっているのだろうか。 そんな事はないはずだけれど、そう思わせてしまう場所だった。 枯葉で埋もれた墓石には、緑の苔が住んでいる。 エリスはそれを手袋を外した、素手で払いのけた。 傷一つない、綺麗な白い手。 赤黒い痣は見当たらなかった。 カサカサと寂しい木の葉の歌が、僕とエリスを囲んでいる。 ヒュウ・フェンブリーゲン、ここに眠る。 そんな哀しい言葉が彫られた墓石は、ただ何も言わずに佇んでいた。 「もう、どれくらい来てないか……それすら、判らない」 「……」 「夢中だったの。掴んだチャンスを離すまいと、必死だった。罰せられて当然かも知れない。どんどん弟の事を忘れていった。怖かったけど、それすらも忘れるくらい、必死だった」 「うん」 エリスは「だから怒られた」と苦笑いを漏らした。 犠牲にしてはいけないものを犠牲にした。 それは自分の姿を改めて見るために、蝶が作り出した機会だったのかも知れない。 失って初めて、罪である事に気がついた。 失うまで気付けなかった。 そうさせてしまったのは、自分の愚かさ。 だから、罰が振って来た。 エリスは俯いて、小さな声で「ごめんなさい」と言った。 その言葉には、もう間違えないと言う強い意思が込められていて。 もう迷いがないと言う感情が込められていて。 それは、僕をとても安心させた。 「テッド」 「何?」 「あなたの罪と罰は、何?」 「うーん……」 僕が犯してしまった罪。それを償うための罰。 いまだに僕の身体に巣くう罪悪の蝶。 僕の身体を蝕む事はやめたけれど、それらは消える事がなかった。 いつ消えるのか、いつ撤退するのか――判らない。 エリスが聞きたそうな顔をしているので、僕は返事に困った。 実際、僕は罪の片鱗さえも覚えていない。 記憶とはとても良いように出来ているものだから、忘れたい事は忘れないと言いつつも、しっかり忘れてくれる。 しかし、ただ一つ覚えている事がある。 僕が犯した罪の、きっかけだ。 「あなたがどうして、そんなにも蝶に巣くわれているのか……私には判らない」 「うん……僕はね、一番してはいけない事をしたんだ」 「……?」 エリスは意味が判らないと言いたそうだったけれど、僕は言わせなかった。 無理矢理顔に笑いを浮かべて、僕は誤魔化す。 誤魔化す事は得意だ。だって、本心を語るよりずっと簡単だから。 「何でも良いよ。エリスが赦されたなら、僕は今のところそれで満足だよ」 「……蝶には赦されたけど、ヒュウに赦されるか……判らない」 「大丈夫だよ」僕は笑う。「蝶は厳しいけど、弟さんはきっと優しいよ」 きっと、この舞台女優はもう間違えないだろう。 転ぶ事は簡単だ、重力に従って倒れるだけだから。 起き上がる事は大変だ、重力に逆らって立ち上がるのだから。 でも、もう彼女は立ち上がっている。 自分の足で立っている。 罪から解放されて、歩き始めているのだ。 間違える事もあるだろうけれど、踏み違える事もあるだろうけど。 自分の足で歩く事ほど、大切なものはないのだから。 * * * 後日、エリスの舞台《グリングリーンの楽園》が、観客数の新記録を打ち立てたと新聞に書き込まれていた。 それを見ながら、ヴェンデルは「また見たい」とほざいたので、僕は今度こそ一発殴っておいた。 「テッド、楽園ってのは、意外と近くにあるんだ」 「……は?」 「エリスの弟さんは、死んだってエリスの傍にいるんだから」 歌謳いの刑 了 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 赦し屋シリーズ、記念すべき第一話。 と言っても、ヴェンデルもテッドも活躍しません。 ダラダラと書いてしまったので、次回はサックリと書きたいものをしっかり書けるようにしたいですね。 次回の罪人は真っ白なお医者さんです。 NOVEL TOP |
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