歌うって、楽しい?
生きるのって、楽しい?
楽しみを超せば、それは苦痛にしかならない。



歌謳いの刑



劇場内は歓声で賑わっていた。
席に座る者たちは全員拍手をし、ある人は立ち上がり楽しそうに手を叩いていた。
僕もその一人にカウント出来るだろう。
僕も感激と言う感激が体中を迸り、涙と言う涙が枯れ果てるほど感動していた。
その歓声は静まる事を知らず、劇は五分…十分程前に終わったのだが、激しく流れる水のように押し寄せていた。

一心不乱に拍手する僕らの目の先にいたのは、漆黒の髪を纏った少女。
その髪と同じような、いや、更に深い黒をあしらった瞳が、スポットライトを受けてキラキラと輝いていた。
手首から先を包む、純白の手袋が優雅さを醸し出している。
一番有名で、一番ミステリアスで、何者よりも強い個性を持つ若干十四歳の少女。
エリス・フェンブリーゲン。
この大都会グリングリーンで、一番有名な舞台女優の一人。
いや、一人と言うか、彼女が代表であり彼女が一位なので、実際には正真正銘の首位だ。

僕らが拍手を続けているこの時間、彼女は頭を下げ続けた。
《グリングリーンの楽園》、それがこの舞台のタイトルだった。
どんなお話か。
そんなものはこの際全然必要なものではない。
主演が彼女であると言う事、これが一番大事な事項。
エリスの名前をこの街に広めた舞台が、この《グリングリーンの楽園》だ。
歌と踊りで綴る、この世界の物語。

僕はこの舞台に魅了され、虜にされ。
こうして劇場に足を運ぶのは本日で三回目になる。
エリスを間近で見る事の出来る絶好の機会は、なかなか無いだろうし、何よりこの舞台は何度見ても飽きないのだ。
何度見ても感激を抑えられない僕は、まだ拍手をしていた。
そして、彼女の頭も下げられたままだ。


「あー、やっと終わったか……」


僕の感動をぶち壊しにするような事を、隣の男は言った。
本来なら僕は彼をこの場で殴りつける事を選択したいのだが、理由があってそれは出来ない。
別に暴力に訴える事が苦手だからではなくて、相手が彼だからダメなのだ。

男――無精髭を生やした小汚い顔、散髪を忘れ肩まで生えた白髪、マナーすら忘れ禁煙にもかかわらず口元に銜えた煙草。
僕が今日、この舞台に連れて来た、僕の尊敬する人だ。
……本当に尊敬して良いのだろうか……不安になってしまった。


「ヴェンデル、ここ、禁煙」

「火を点けなければ、煙は出ないだろ」

「そうじゃなくて、感動とかしないのか? 有名な舞台なのに」

「有名無名で真価が問われるのかい? ん?」


ダメだ、この男……完全に飽きてたんだ。
男の名前はヴェンデル。
廃屋と呼ばれても文句の言えないような古びた教会に居を構える……一応神父だ。見えないけれど。

ヴェンデルは手を天上に掲げるように伸びをしてから、大きな欠伸を一つ吐いた。
同時に煙草が口から零れたが、彼は気にする様子を見せずに、懐から新しい煙草を取り出していた。


「劇自体は悪くない。でも、あの女……演技が怖いな」

「じゃあ良いよ。もうヴェンデルは誘わないから」

「御勝手に……ん?」


彼のつまらなそうな態度が、一瞬引っ込んだ。
いつの間にか彼は食い入るように舞台の上を見詰めていた。
僕にはそれが意外に見えてしまい(何せさっきつまらないと言ったばかりなのに、見詰めている事が不可解だ)ヴェンデルが見据える舞台の上に視線を送った。

そこにあったのは、いつの間にか頭を上げた少女の姿だった。
どこからか流れた風が、肩口までの髪を揺らしていた。
直立している、彼女。
彼女の口元が……揺れる。
何かを噛んでいるかのように、小さく、もごもごと動かしていた。

彼女は……何かを……言っている?
僕には何を言っているのか判らなくて、その小さな少女の姿を捉えたまま固まっていた。
ただ、隣の男――ヴェンデルには判ったようだ。


「ありゃ、《歌謳いの刑》だな」


* * *


罪人は須らく裁かれるべきだ。
罪を犯した者たちは、天に裁かれるべきだ。

これは僕の思想ではなくて、僕たちの世界の思想だ。
僕らの世界は犯した罪が赦されるまで、罰が具現化して圧し掛かる。
罪を犯したら犯した分だけ、贖いをするまで、償うまでそれは続く。

実際に僕も罪に問われた事があり、僕はそれを認めた事で解放された。
ヴェンデルの言葉によれば、僕の刑は《雨忘れの刑》……と呼ばれるものだそうだ。
僕はそれを認めて、ある程度赦されたので解放されたが、あれは地獄と言う言葉を陵辱するほどの地獄だった。
……まぁ、もう過去の話だけれど。

赦し、認め、贖いを指し示してくれるのが――ヴェンデルだった。
僕はたまたま彼に出会い、罪の赦し方を教えてもらったのだ。
そう、彼は自称《赦し屋》。


僕は劇場の裏口で、本を読んでいた。
ヴェンデルが貸してくれた小説なのだが、これがベタベタの恋愛小説。
あの小汚いおっさんがこんな物を読んでいるのかと思うと、吐き気がするような気もするが。
僕は、二の腕から指先まで両腕共に包帯を完全に巻いているので、ページを捲るのが大変だった。
読む事よりも、捲る方が苦痛。


僕は、恋をする事は罪な事だと思う。
数多くの人間が犇いている世界で、たった一人を選ばなければならない事。
それは争いを生み、元凶となり、破滅に誘われる。
そんな罪な感情を罰せられないのは、おかしい。
僕は恋をした事はないけれど、恋は罪作りだと思う。
だから僕は恋愛小説が嫌いだし、恋なんてしたくないと思う。
恋なんてしなくて良い、たった一人を選ぶ事なんて、しなくて良い。

なんて、くだらない思考は僕の頭を巡り続ける。
端的に言おう。
何をしているかと言うと、僕は本を読みながら彼女が出てくるのを待っているのだ。
エリス・フェンブリーゲン。
若干十四歳にして、天才として君臨した舞台女優。
物憂げな表情と闇のような黒を帯びた人間。
――彼女は、歌い続けているのだ。
舞台で……僕を虜にしながら。

ヴェンデルは僕に「彼女から事情を聞いて来い」と言った。
いや、あれは命令したと言った方が正しいような気もするが、それは端に置いておくとして。
彼女――エリスは《歌謳いの刑》に処されたらしい。
浮浪者の戯言のような気もするが……《赦し屋》がそう言うのだからあっているのだろう。癪に障るような気もするが。

そして、それからしばらくして――彼女は現れた。





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